最高裁判所第二小法廷 平成4年(行ツ)28号 判決 1992年4月10日
上告人
廣瀬信子
右訴訟代理人弁護士
山本草平
被上告人
恵那労働基準監督署長岩田多加子
右当事者間の名古屋高等裁判所平成三年(行コ)第一号労災保険不支給決定取消請求事件について、同裁判所が平成三年一〇月二九日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人山本草平の上告理由について
亡廣瀬保明の本件発病が業務に起因するものではないとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 木崎良平 裁判官 藤島昭 裁判官 中島敏次郎 裁判官 大西勝也)
(平成四年(行ツ)第二八号 上告人 廣瀬信子)
上告代理人山本草平の上告理由
原判決には、
第一に、重大な事実につき誤認をした結果、経験則に違背する判断をしていること。
第二に、従来の判例に違背していること。
により破棄を免れない。
一、先づ、原判決は、原則的に第一審判決の事実認定を支持し、
「まず、保明が脳出血発作を起こした当日における入坑直前の同人の血圧は、最高一五〇ミリ、最低一〇〇ミリであって、仕事に差支えのない程度であり、高血圧症が自然に増悪するような状態ではなかつたとする点について検討してみると、前記認定の事実から明らかなように、保明は従来(昭和五四年ころ)から血圧が最高一七〇ミリ、最低九〇ミリの前後を浮動する高血圧症に罹患していたもので、引き続き治療を要する状態にあったものということができ、また脳出血を起こした当日の午前中にも、医師に高血圧に起因すると思われる症状を訴え、最高一五〇ミリ、最低一〇〇ミリと血圧を測定されたうえ、降圧剤の施用を受けたものであって、これらのことに加えて、保明の年齢(脳出血を起こした当時五三歳)や同人が前説示のように飲酒・喫煙を好み、ことに晩酌として焼酎二合余りを愛飲していたことをも併せ考慮すると、保明については、本件脳出血の発作以前に、その原因となるような脳小動脈壁の脆弱化現象が日々緩徐に進行していたことが十分に推測されること、そして、しかも、原審証人山田眞一郎の証言によると、脳小動脈壁の脆弱化現象は降圧剤の服用によって改善されるようなものでないことが認められるから、脳出血の発作を起こした当日午前中における保明の血圧測定値が右記載のとおりであって、仮にその測定値そのものが比較的に少ないものであったと評価されるとしても、そのことの故に、直ちに、その当時、保明の脳小動脈壁の脆弱化現象の進行が抑制されていたとか、もしくは改善されていたなどということはできない。したがって、本件においては、脳出血の発作を起こした当日の入坑直前の時点で、保明が自覚的、他覚的のいずれの観点からしても、仕事に従事しても支障のないような外観的状況にあったからといって、保明の前示の高血圧症が右脳出血の発作以前においては自然に増悪するような状態になかったなどということはできない。」
と判示している。
二、右原審の要旨から言うと、結局、保明は労働に従事しているか否かを問わず、その事故当日に死亡する運命にあったものであると言うに等しい判断としか言いようのないものである。
本件事故当日まで、勤務日程表に従って、何等支障もなく勤務して来た者が作業中に倒れた場合、労働というものが何等かの意味で事故に対し起因していると考えることが経験則上当然なことであろう。そして、労働災害に対する労働者保護の観点に立てば、労働というものが当該事故に何等の寄(ママ)因もしていないことは、上告人側で立証すべきものである。この点については、原判決は単に、保明の脳内出血の発作は、従来からの高血圧症に起因する脳小動脈壁の脆弱化現象が緩徐に進行するうち、たまたま本件作業現場において自然発生的に生じたものと認定している。
しかし、このような原審の判断は、結局、基礎疾病を有する労働者に対しては、労災保険の支給を不可能にするという傾向を示すものとして、明らかにこれまで示されて来た多くの判例と逆行するものである(これまでの判例については、すでに昭和六一年二月五日付上告人準備書面第二項にて記述している)。
特に、原審の判断している自然発生的とは如何なる意味なのか、理解に苦しむところである。この原審の判断が、保明は何時如何なる場所においても、何等外的な事情がなくても死亡しても当然な身体的状態であったとするならば、余りにも証拠に基づかない独断だと言わざるを得ないものである。
基礎疾病を有する労働者の労災事故は、そのメカニズムにおいては、すべて自然発生的であることは疑問のないところであろう。
若し、原審の判断を正当であるとするならば、基礎疾病を救済する道はまったく閉ざされてしまうことは明らかであり、それが如何にも不合理なものであるからこそ、前記各判例が出されて来たものである。原判決はこの点において判例に違背していることは明白である。
三、本件は、高血圧症という基礎疾病を有するが、トンネル掘削の労働には十分耐えられる者が労働に従事(その就業形態が実質二交替か三交替かは争いがあるとしても)して、二一日目に切羽から転落しているのが発見され、診療の結果、脳内出血を起こしていたと言うものである。
右出血の原因が、転落前に発生していたのか、転落後に発生したかは証拠上判断できるものは存在しない。
ただ、右脳内出血の原因として、医学的には高血圧症に起因すると考えるのが妥当な見解であろう。
このような脳内出血を起こす直接の起因となったものには、種々の原因が考えられることは桜井医師の証言によっても明らかであり、神経の持続的緊張、転落した際の驚愕、労働による疲労、転落による身体に与える衝撃など考えられるのであるが、問題は、原審の判断がこのような直接的な起因にはまったく触れず、本件脳内出血は起こるべくして起きたものとしたことが、果たして、世人をして納得させられるものかどうかと言うことであり、貴裁判所の慎重なる判断を求める次第である。
以上